まずはじめに
数あるサイトから本サイトにお越し頂きありがとうございます。
まずは簡単にこのサイトについて紹介させて頂きます。
本サイトについて
本サイトでは私自身が心停止となったことから、その経験をお伝えしたり、救命法の普及活動について発信をしております。
このページを訪れていただいた方の中には、心臓に不安を抱えているかたや、身近な方が臓発作になってしまった、という方もいらっしゃるでしょう。
私は、自分に起きた「心停止」がどういうものか発信することで、ご自身の不安を取り除いてもらったり、ご家族やご友人の方の不安を軽くしたいと思っています。
万が一、身近に起きてしまった場合の備えについても、別の記事でお伝えしています。ご覧頂ければ幸いです。
あなたの不安や恐怖をあおるつもりはありません。
同情してほしいわけでもほしいありません。
あまり心停止から蘇生した人の体験談ってないんですよね。
助けられた人、元気になった人からの実体験をお話することで、きれいごとかもしれませんが
少しでも元気になってもらえれば、という思いで発信していきます。
私に起きたこと
マラソン大会中に心肺停止となる
私はマラソン大会に参加し、レース中に「不整脈及び心筋虚血」で心肺停止となりました。
当時の私の心臓は、致死性の不整脈である「心室細動」を起こし、心臓及び全身に血液を循環させることが出来ない状態になっておりました。
ランナーの方が「胸骨圧迫」(いわゆる心臓マッサージですね)をしてくれたおかげで、心臓が完全に止まってしまう「心静止」にならず、AEDを使用したことで細動がなくなり、病院に搬送される際には自己心拍が再開した状態でした。
救助をしてくださった方には、感謝の言葉しかありません。
ありがとうございます。
簡単な自己紹介
少し時計の針を戻して・・・
簡単に私の自己紹介をすると、小学校低学年から高校までサッカーをしたり、大学ではマリンスポーツをやったりと、割と体力には自信がありました。
大きな病気にかかったこともなかったです。
マラソン大会にエントリーは減量のため
マラソン大会に参加することになった経緯ですが、
体力に自信があったのも20代前半まで。当時33歳だった私は、年齢とともに体重も増加。
お腹もポッコリ、胸も膨らんできて、まさに中年太り。
トレーニングジムに入会したりランニングをしたりもしましたが、仕事や家族サービスを言い訳にして、長続きしないことは過去の経験からわかっていました。
だから、「マラソン大会にエントリーする!」と宣言をすることで、
家族も巻き込んで強制的に走る環境を作ることにしたわけです。
さっきから見栄を張っていましたが、実は、倒れたのはマラソン大会ではなく、ハーフマラソン大会(以降、マラソン大会と呼ぶ。)です。
マラソン大会当日まで
エントリーして、3か月ほど前から準備をしていました。
土曜日には10㎞走り、日曜日も5~10㎞は欠かさず走っていたと思います。
10㎞を約1時間くらいでしょうか。時速10㎞。(速い遅いの議論は無しでお願いします)
大会1か月前からは15㎞を目標にして、大会はペースを落として走りきるという作戦です。
でも、15㎞走ろうとすると足が棒になってしまい、歩くくらいのペースに。
体は限界を知っていたのかもしれません。
マラソン大会当日
当日の記憶はあまり残っていないのですが・・・
後日妻に聞いた話では、「体がだるい、風邪かもしれない」と言っていたようです。
でもせっかく準備してきたしと、市販薬を飲んで大会に向かったそうです。
いま思うと体がSOSを出していたのかもしれません。
それ以外に、どこか痛いという症状は全くありませんでした。
そしてレースを迎えるわけですが、15㎞を走った辺りで倒れていたようです。
私が受けた一次救命処置
私は倒れたことも記憶からは無いので、聞いた話になりますが・・・
レース中の医師と看護師が、交代で胸骨圧迫を行ってくれました。
それ以外にも(大会は中断しませんので)交通整理をしてくれる人がいたり、119番通報をしたりAEDをもってきてくれる人がいるなど、私の命を救うためにいろんな方が動いてくれました。
本当に感謝しかありません。本当にありがとうございました。
(後日、Twitterで救命処置してくれた人を探したところ、交通整理をしてくれた人がわかり、お礼を申し上げることが出来ました。Twitterってすごいですね。)
二次救命処置
救急車が到着するまでに、おそらくAEDによる電気ショックを行われて
自己心拍(心臓が再び動いた)が戻っておりました。
その状態で救急病院へ運ばれましたが、まだ意識は戻っておらず、呼吸も弱かったことから人工呼吸器をつけているような状態でした。
私に起きた一連のことを把握して思ったこと
私が目を覚ましたのは、倒れてから3日後のことでした。
もちろん自分に何が起きているかわかりません。
先生に「名前は?」と聞かれ、答えます。
続けて「生年月日は?」と聞かれ、答えます。
一定期間脳に酸素が供給されていないことで起こりうる後遺症が無いか確認をされていたのかもしれません。
そして、またすぐ眠りについたのだと思います。
次に起きた時に、看護師さんが状況を説明してくれました。
マラソン大会中、15㎞付近で倒れた。ランナーが心臓マッサージをして、AEDで蘇生した。救急車で運ばれ、今はマラソン大会から3日後である、と。
自分は死にかけたんだ、とやっと理解しました。
その後、自分でもいろいろと調べてみて(先生にも話を聞きました)、
いろいろと偶然が重なったからこそ、蘇生して、そして後遺症もなく生活ができるようになったんだと知ったのです。
具体的には
- マラソン大会中に倒れた
- 医師、看護師など胸骨圧迫が出来る人がいて、実際にしてくれた
- AEDがある大会だった
挙げればキリがありませんが、もし練習中に倒れていたら私は死んでいたと思います。
幸運にも大会という人がたくさんいる場所で倒れ、一次救命処置をしてくれる人がいて、AEDが配備されていて、ショックが適用される心電図だった。
もちろん、そのあとに適切な二次救命処置があったことは言うまでもありませんが、そこに至るまでのバトンが偶然にもきれいに繋がった結果、私は今生きてます。
本人とご家族の心のケアが大切
私は比較的すんなり受け入れることができました。
というより、当初は逆にすんなり受け入れすぎて、他人事のように感じることもあったほどです。
人によっては、気が動転されたりすることもあるでしょう。
仕事を休まないといけない状況で、周りに迷惑をかけてしまうと自分を責めたりすることもあると思います。ですが、体が一番です。周りの方はご本人がしっかりと体と心を休める環境を作ってあげてください。
またご家族については、より心のケアが大切だと感じています。
突然愛する家族を失うかもしれなかったという出来事は、すごく精神的に負担が大きいです。
おそらく精神面に関しては、ご本人より辛い想いをしているはずです。
ご家族も、心を休める環境を作ってください。
誰かに悩みを話すことだけでも心のケアになると思います。
心停止になった私にできること
私は、これから救命法の普及活動を行って参ります。
今までは全く関わりのなかった分野ですが、自分を助けてくれた救命法を世の中により知ってもらうための活動が出来ればと思っております。
一次救命処置の講習や、講演などが主な活動になりますが、
医療者ではない、そして心停止の経験者だからこそ伝えられるものがあると信じています。
現在の普及活動に関して、課題もあると考えております。
救命法について知らない人も多いですし、正しくない理解をしている人もいます。
受けたいのに受けられない人もいると思います。
人を助けたことで、心が傷ついてしまう人もいます。
そういった方の助けになるような活動をしていきます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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